1月某日
仕事をしていたら、「上級生の同級生だ」(←おかしな表現ですね…私の宝塚の先輩と、高校が一緒だった)という方にお会いして、盛り上がってしまった(私が)

その上級生は、かなりのスターさんで、私は受験生時代に憧れ、予科時代にも、思い出がある方でした。

あれは予科時代…
その日私は、絶対に本科がいないバウホールの廊下の階段を、ひとりで楽しそうに歩いていました。

ご説明しておくと、予科生は、まあ廊下は直角には曲がらないにしても、楽しそうにするなど、考えられないのです。

笑顔禁止、予科語以外厳禁、体側という両手をきをつけ! のポーズのままにして、予科顔(しかめっ面)で歩かなければなりません。いついかなる時も。

しかし、その時、厳しい同期もおらず、本科生は全員舞台でリハーサル中。
私はつかの間のちょっとした自由を謳歌していました。ひとりで。

…その時、華やかなオーラを放った劇団生の方が!!!

そんなスーパー上級生から降ろされたら(ご指導があったら)いっかんの終わりです。

私は凍りつきました。

が、その上級生は、私ににっこりとほほえみかけてくださり、もちろん、その後もなにも降りてきませんでした。

あの辛かった予科時代にあって、バウホールの赤い絨毯とその方の「にっこり」は、私の脳裏に焼き付いています。

今思い出しても、あのにっこりにうっとり…。


1月某日
「曖昧さを受け入れられるようになってしまったら、あたながあなたでなくなってしまうんじゃない?」と、サラリと言ってのけた人がいた。
「お前は百ゼロだ百ゼロだ百ゼロだ」と、頭ごなしに言われ続け、責められ、疲弊し、消耗しきっていたときだったので、けっこう嬉しかった。

「自分とは、変化し続ける連続の一部だ」

と、教えていただいたことがある。

だから、仮に私が曖昧さを受け入れられるようになっても、私は私なのだろうけど。

嬉しかった。

1月某日
よりそってくれるのは、歌だけだと思う。

YouTubeで、

クミコ 幽霊

で検索すると出てくる、クミコさんの『幽霊』は、本当に素晴らしい。
YouTubeだから擦りきれないけど、擦り切れるほど聴いているという表現しかない、くらい聴いている。

もちろん、アルバム愛の讃歌(2002年)の幽霊も、シャンソン・ベスト(2013)の幽霊も聴く。

でも、私はこの、違法アップロードとおぼしきクミコさんの幽霊が、たまらなく好きだ。

このシャンソンの『幽霊』は、
「希望の歌」
「光が見える歌」
なのだそうだ。

…聞き間違いかと思った。

トレネの幽霊も聴いた(もちろんフランス語で対訳もみた)

私はクミコさんの幽霊を、何回も何回も、何日も何日も、何年も何年も聴いている。

でもやっぱり希望は、感じられない。

歌の中に「埃っぽい楽屋の隅」という日本語の歌詞がありますが、私もたしかに見たことがあります。
こんな気持ちになったことがあると思います。(余談ですが楽屋の隅だけでなく、舞台裏の綱元の隅には、ナニカいる場合が多いです。)

でも、どうして、この『幽霊』が、希望や光なのか、未だどうしても理解できない。


昨年から考えている「「メンヘラだった」と過去形にできるのか問題」については、継続審議中(自分の中で)です。

ただ、子どもメンヘラと大人メンヘラの違いはわかりました。それはやり過ごし方を知っている点だと思います。

曇りの日も、雨の日も、低気圧の日も、運の悪い日も、人の悪意にさらされた日も、頼りにしている人が頼れなかった日も、やり過ごし方を知っている。

ひとりの孤独が襲ってきても、
ふたりでいるのに孤独が襲ってきても、やり過ごし方をある程度知っていて、明日仕事に行ける。

明日仕事に行けば、100%のパフォーマンスが発揮できてしまう。

悲しいかな、それが大人メンヘラ。

私は本当にどうしようもないときは、クミコさんの歌を聴きます。エンドレスで。『世紀末の円舞曲』も擦り切れるほど聴いています。

歌には副作用がない。
(と、クミコさんはご著書にお書きになっています)

生身の人間には簡単に依存するし、物質へのアディクトなど大変なことです。(法治国家において、違法である場合もあるし)

食べないことや食べること、盗むことへも簡単に依存しますね。

歌に副作用がない。

手に刺繍しちゃう
カミソリで切っちゃう
せき止め飲んじゃう
処方薬いっぱい飲んじゃう

やめろとは言いませんが、事故死してしまう可能性もあるし、やり過ごし方を身につけると、多少は楽だよと、大人メンヘラとしてアドバイスしたいと思います。

事故死で死にきれれば、それがどうか、良い悪いはわかりませんが、おそらく難しいと思いますし、苦しいし、目覚めてしまったときの不快感は、身体的にも精神的にも経済的にも相当だと書いておきます。(拙著にも多少書きました)

やり過ごし方は人それぞれです。

できるだけ”副作用”が少ない、自分なりのやり過ごし方を身につけるのが、メンヘラの嗜みだと思います。

自分がこの10数年を生き延びてきて、いつのまにか「若年女性」でなくなって、やり過ごし方を身につけてしまって、私が書く文章も、今苦しんでいる「若年女性」には届かないだろうと思います。

運良く(あるいは運悪く)生き延びた者として、何ができるか、考えなきゃなぁと思います。