2018年1月1日
あけましておめでとうございます。
現在、謹慎中(自主的)なので、アップロードするのはずいぶん先になるのだろうなあと思います。

そこそこ、元気でやっています。無事で、元気で、なんとかやれていれば、それが一番いいよね。

恐ろしく辛い経験もしましたが、とても幸せな新しい出会いや、楽しいことも間に挟まり、人生経験が深まりました。

「私たちがギャンブルやらないのは、人生ごと賭けて生きているから」と仰った方がいましたが、本当にそうだと思います。
毎日が命懸けなので、生きている実感だけは、一般の人より強く持てていると思います。(身体の感覚は薄いけれど。)

そんな身体の感覚が薄い私の風邪予防。
今年は功を奏しています。32年目にしてやっと!

私には、喉のケアが肝心要のようで、「イガイガ」する三歩手前で、速攻ケアしちゃいます。
・はちみつ(毎日)
・ペラックT錠(頻繁)
・ネックウォーマー(欠かさない)
・葛根湯(たまに)

今年は我慢しないで、さっさと葛根湯を飲んでしまっています。持ち歩いています。温かい飲み物で飲みます。

常に温かいハーブティーを家から持参。冷たい飲み物は絶対に飲みません。かなり良い。

それでもやばいかな?と思ったら、「アズレンのどスプレー」これは最終手段です。

あとは、手首を冷やさないのもいいみたい。首と手首ですね。

もちろん、冷えとりも継続中です。
が、私は医薬品も使っています。自分が快適な場所を見つけるのは、なかなかに難しい。


さて年末に、一流のお仕事をなさる、ものすごく美しい方に出会いました。しかし、彼女はとてもとてもお辛そうでした。本当にお辛そうでした。
私にできることなど何ひとつありませんが、私が「日本一醜い親への手紙」の選者であることをお話しし、彼女はその場でAmazonで検索してくれました。(スマホ、いいよねぇ)

差し出がましい事かもしれませんが、信田さよ子先生の『母が重くてたまらない〜墓守娘の嘆き〜』などに出会ってくれたらと思います。




ACという言葉の誕生が1995年。現在、2018年…。
私の周囲では常識であることが、日本の社会の中では全く常識にはなっていません。

私はこの20数年を作ってきてくださった先輩方を心からリスペクトしています。私がインセストのサバイバーであることを人生のわりかし早い段階で公表することができたのは、「インセスト」という言葉を輸入し、それが「被害」であるとはっきりと定義してくれた先輩方がいらっしゃるからです。

私の回復(もちろんいまだに途上ですが)が比較的早かったのも、「アダルトチルドレン」「インセスト」「性虐待」「トラウマ」などの言葉があったからです。自助グループの歴史が積み重なっていて、知恵が情報が、私の周囲に存在してくれたからです。

言葉がない苦しみは、苦しむことができません。自分の苦しみに自分で名前をつけることができて、直面して、乗り越えることができたのだと思っています。

自分が受けていることを、被害であると、自分で認めることには、ものすごいエネルギーが必要で、苦しみが伴います。
人それぞれにタイミングがありますから、私が他人にできることなど、本当に何もありません。

それでも私は、違うけれども同じ苦しみを生きてきた一人として、
「親から脱してもよいこと」
「どのような職業についても(あるいは働くことができなくても)よいこと」
「虐待されたこどもは、何ひとつ悪くないこと」
「グーで殴るだけではく、虐待には様々な種類があって、いかなる暴力も許されないこと」
「それが性的なものであろうと、心理的なものであろうと、”魂の殺人”としか表現できないほどの苦しみがあること」
「暴力とは、自由を制限し、その人の尊厳を傷つけること」

そして、

「知ることで、生きる力を取り戻せること」

を、なんとかお伝えし続けられればなぁと、ぼんやりと思います。

私個人は、「実家がないこと」がかなりの痛み苦しみなのですが、
「実家があること」が相当な痛み苦しみである方々にもたくさんお目にかかります。

特に年末年始は、そうしたことが顕著に現れますね…。
種類、状況は違えど、なんとかサバイブしていきましょう。それしか言えません。

私ももう、いい加減大人なので、やり過ごし方を心得ています。

手に入らないものは望まない。
自分で持てないものは持とうとしない。

自分の人生を引き受けて、それなりに良いところを見つけ、全うしていくしかないと思っています。

こんな中でも、共通するものや共有できることを見つけられた奇跡を喜んで、生きていくしかないと思っています。