過去記事ではなく、日記を読みに来てくださっている方がいるようで、本当に意外。
貴重なお時間を使って、ありがとうございます。

仕事のお知らせなどではなく、本当にごく個人的なことしか書いていないので、なんだか、申し訳ない感じがする。

もし、日記がお好きな方は、私がおすすめするまでもないかもしれませんが、
服部みれいさん
植本一子さん
小野美由紀さん

の日記をご覧ください。

私が服部みれいさんの日記本から受けた影響については、繰り返し書いているし、


植本一子さんの『かなわない』は、本当にすごい本でした。書影を見ただけでピンと来て、Amazonでパッと購入したのですが、あれは一生忘れられない、すごい本です。
かなわない
植本一子
タバブックス
2016-02-05



そして、小野美由紀さんのブログ。貼ってもいいですか?
http://onomiyuki.com/?p=3317
このエントリーから、さかのぼって拝読させていただいたのですが、読んだ後、ずっと胸が痛いです。こんな文章書ける人って、本当にすごいよね。。
小野さんのご著書はこちら





自分をさらけ出すことができない私の日記など、本当に面白くないと思います。
嘘ついてるし、自分自身にも嘘をついているし、さらけ出したり絶対できないって思ってるし。

私は宝塚退団後、ほぼ、歌ったり踊ったりしていません。(ウィキペディアに俳優と書いてありますが、私は俳優ではないし、俳優だったこともないし、今後なる予定も一切ありません。過去にそのWikipediaをプリンアウトして持参し、私に確認にきた新聞記者の方がいらして、呆気に取られました。いろんな意味で。)

元タカラジェンヌならピアノが弾けて、カラオケがうまいだろうと思われることが毎度、苦痛です。。。親しい方には(親しくさせていただきたいと思う方には、)「弾けない選択(通称:弾けない選)」だったこと、退団後は辛くて趣味でも絶対に歌わないことなどお話ししています。
ただ中途半端に訓練してしまったため、うっかりいきなり歌うと自分の音程が気持ち悪いという弊害だけが残りました。

「叔母が宝塚ファンで、ほら、大浦みずきさん!」などと言われるのも、MJあるあるだと思うのですが、「ああ、ここにきた私は見ていただいていないのだな」と毎回思います。でも、お天気の話と一緒なので、「ダンスの花組ですもんね」とか「修学旅行でご覧になったんですか?」とか、お答えするようにしています。(ただし、ファミリーランドのホワイトタイガーの話は好きです)

ちなみに、タップダンスと日本舞踊は全く身につきませんでしたが、バレエだけは身につき、食いっぱぐれたときに「教え」もしていました。その頃の私は本当にボロボロで、レッスンを何コマも担当していたのですが、休憩時間ごとにタバコを吸っていました。次のレッスンで振りうつしをしながら「タバコを吸うと、跳べなくなるものだなぁ」などと頭の片隅で考えた記憶があります。その頃は辛すぎた。

今でも多少踊れるので、これだけは不思議だなあと思います。
クラシックバレエだから、踊る機会全くないですけどね。

パがない踊りは、絶対に踊りたくない...というか身体を動かしたくないので、二丁目で踊ったりすることも絶対にできません。
逸脱を許さない、決められたパを、繰り返し繰り返し繰り返し訓練して、それなら私でも身体を動かしても大丈夫かな? という感覚。

クラシックバレエでは、身体の方向が1番から8番まできっちり決められており、それ以外はありません。(原則的に)
首の角度も、手の動きも。脚のポジションも。
そのクラシックバレエで、そこから何かを表現する域には、私は全く達しませんでしたが、受験には合格し、訓練を積んで、さらに逸脱を許さない組織に属し、「一糸乱れぬ」ラインダンスを踊りました。

私には、そのほうが怖くないのです。
50人、全員、同じ、ヒヨコ。...この薄気味の悪さ。でも、自分自身を表現するより、よほど安心。


日本舞踊をかなり本域でなさっていた方とたまたまお仕事でご一緒になり、久しぶりに「かなめがえし」の話をしたりしました。私の舞い扇は一番安い、先端部分のみに色がついている、7〜8千円のものでした。日舞は劣等生中の劣等生で、本当に振りが覚えられませんでした。

タップダンスに至っては、私は音が出ていなかったのではないかと思います。(日舞とセットで思い出す)
その後大出世を果たすとある同期Sは段違いのレベルだったのですが、なぜか私に試験前にタップを教えてくれたことがありました。あれは、なんでだったんだろう...? 私が代わりに何か教えたような記憶がありますが(私なんかに教えられるものがあったとも思えませんが)、なぜか彼女が試験前にタップを教えてくれて非常に助かった記憶があります。あれはなんだったんだろう。


宝塚・いじめ、などと、薄っぺらな言葉で表現されたり曲解されたり、矮小化されたりうまい具合に薄められたりしますが、あれは、ただただ暴力の問題なのです。
連綿と続く、被害と加害、そして否認。

それを見て楽しむのは、何故なのか?
何故なのかは書きません。もちろん、答えは出ていますが。

私は本にも書いているし、それでも体罰などを肯定できる人たちは多くて、みんな血に飢えているのだなあと思います。あ、書いちゃった。